プロフィール

生真面目がゆえに適応障害となった男性看護師②

こんにちは。ブログを見ていただいてありがとうございます。
皆様の体調はいかがですか?ブログを見てゆっくりしていってください。

さて今回は第2回として

  • 看護師になってから苦しんだこと
  • 待望の子供ができた。でも・・・。
  • 子供が生まれた後の心理変化

に関して話ていこうと思います。
まだ第1回のブログを見ていない方はこちらからご覧ください。

ブログをご覧になっている方々で

適応障害と診断された方

・憂うつ状態の方

・自殺念慮まで考えている人

がいらっしゃいましたら今抱いている気持ちをこの中で共有できたらと思いますので、どんな些細なことでもコメントで教えていただけると嬉しいです。コメントの言葉が他人のアドバイスや共感につながります。

宜しくお願いします。

では行きます。

なおやん

30代 | 男性
和歌山育ち大阪在住
職業:訪問看護師
趣味:車、野球、読書

職歴:大学病院6年勤務
(消化器外科、手術部)

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  • 看護師になってから苦しんだこと
  •  大学卒業後、やるからには地元の医療で学びたい。高度技術が揃っている病院で働きたい気持ちが強く、大学病院に就職しました。

    入職後、希望していた消化器外科で働くことが決まり、少しホッとしたことを覚えてます。

    夢に目指した看護師。実際に働けると思うとウキウキが止まりませんでした。「これで自分も苦しんでる患者を助けられる・・・!」そう思っていました。

    しかし、現実そんな簡単なものではありませんでした。


    業務的に覚えることも多くある、看護技術も学生時代に学んだことなんてほんの少しだけの技術。

    消化器の解剖や病理、疾患に関してもうろ覚え。患者さんを助けるところか、患者さんに迷惑をたくさんかけることになりました。

    そんな日々の中、「何をしても怒られ、要領も悪く仕事も進まない。毎日が苦しい。行きたくない、辞めたい」そんな気持ちが増強していきました。

    そんな中、僕を支えてくれたのは、自分担当の教育担当者でした。


    どんな苦しい場面でも、自分の気持ちを聞いてくれたり、ひっそりと院内メールで「橋本さん、くるしいかもしれへんけど、頑張れー!」と励ましてくれたり。

    その方の看護も丁寧で、患者から信頼されるような素晴らしい方でした。


    僕も先輩みたいな看護師になりたい」そんな気持ちを奮い立たせてくれて、1年かけて自分なりの看護観を見出すことができました。

    患者の身体的、精神的苦痛を何とか軽減させたい

     僕の中で、これだけを大事にしていこうと決意し、どんな苦しくて辞めたいと思った時も、自分の看護観だけは忘れない気持ちで、勉強も技術も高めて働くことができました。(担当者が異動決定したときは無茶苦茶泣いたことを思い出しますww

    自分の大切にしてきたこの言葉、先輩がしてくれた支え方は、絶対後輩指導にも生きてくる」そう思って新人指導も携わることができ、もちろん苦しいことはあったけど、立派な看護師へと成長してくれました。

    本当に嬉しい気持ちが強かったし、これからここを支えてくれる看護師になってくれるんだろうなと思うと感情的になり泣いたこともありましたw。

    総じて、看護師になって苦しかったことはたくさんあったけど、患者が退院される時とか、「橋本君担当してくれるのね、うれしいな」って言ってもらったあとは、苦しいことを忘れるくらい、やりがいを感じるようになりました。

  • 待望の子供ができた。でも・・・。
  • 看護師5年目の時には、待望の子供が嫁のお腹にできました。
    子供ができた時には二人で「やった!」と喜んで抱き合ったことを思い出します。

    「これで俺も父親になるんか。支えられるようにがんばるぞ!」
    そういう思いでした。

    しかし、嫁の悪阻もきつくて、悪阻のため機嫌も悪い日も多くあって、自分も嫁を支えてあげたいけど、自分も仕事してきて帰ってきて疲れてたりで、自分なりに支えてたつもりが、疲れてるを理由で中々支えることができてませんでした。

    そんな中、嫁も看護師の仕事をしており、夜勤もしていたため、切迫になりかけていると診断があり、実家に戻ることになりました。最初は「そっちのほうがいい。実家に戻ってきておいで」と言いました。

    しかし嫁が実家に帰って2~3か月ほどが経ち、まだ家の中はたった一人の自分。小遣いで貯めてたお金も減ってくる。今まで楽しく話していた嫁が居ない。支えてあげるのは向こうの家族だけじゃない。俺だって支えてあげたい。

    そこで寂しさもかなり大きくなり、私は嫁にひどいことを言ってしまいます。

    まだ実家にいるの?ほな産まれるまでそっちで見てもらいなよ。こっちは適当にしとくから

    ・・・・・・・。

    今思えばかなりひどいことを言ってるなと振り返ることができます。(LINEから抜粋したので言葉何一つ間違っていません。)なぜそんなことを送ってしまったのか、過去の自分を殴ってやりたいくらいですw。

    このことから、自分は「誰かから頼られたい。自宅では癒しが欲しい」ってことなんです。
    頼られることで、自分の中で満足感が得られ、自宅で楽しく話することとか、誰かが家にいるだけで癒されようとしていたのです。

  • 子供が生まれた後の心理変化
  •  逆子であったため、帝王切開で女の子が生まれました。


    手術室での出産であったため、立ち合いはできませんでしたが、保育器に入って出てきた我が子は最高に可愛くてたまりませんでした。「これから育児も頑張っていかないとな」と思いました。

     しかし、これまた思うように進みませんでした。

    子供を抱っこするだけで、泣き叫ばれ、自分の親や嫁が抱っこすると泣き止む。


    成長してきたら、自分も抱っこの仕方や自分のことも認めてくれて、泣き止んでくれるだろうと思ってもいました。

    しかし、これまたそうでもなかったのです。

    成長しても、嫁が風呂に入ると、ママと言って泣き叫び、嫁が出ていくと、ママと言って泣き叫び。
    次第にとうとう私は、長女と私の二人だけの空間が嫌いになってきました。

    「思い描いていた子育てじゃない。」「夫婦で助け合って育てていくものだ」と思っていたのに、子供はどうしても嫁のほうに行きたがる。嫁に頼ってばっかり。

    二人だけの空間になりそうになると、嫌気が指したり。自分は何も子育てできていない。頼りない。と自分を責めるようになりました。

    そうなんです。子育てを開始してから、自分のやりたいことができない。ストレスが解消されない。自分が嫌い。何もかもが嫌になる。嫁のことも嫌なことしか見えなくなる。何もしたくないと負のループが開始したのです。

    ここから、今までの人生の中でためていたストレスが精神的に追い込んでいきます。

    また次回続きを書いていきます。

    ほなまた!!

    • この記事を書いた人

    なおやん

    30代 | 男性
    和歌山育ち大阪在住
    職業:訪問看護師
    趣味:車、野球、読書

    職歴:大学病院6年勤務
    (消化器外科、手術部)

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