こんにちは。
まだわたしの自己紹介の記事をまだ参照していない方はこちらからどうぞ。
今回は自分が適応障害となり、自殺念慮までしてしまったことに関してです。
今回の話は、赤裸々にたくさん書いていきます(性格や今までの人生含めて)
その中で、たくさんのネガティブな発言があり、
気分を害する方もいるかもしれないので、自己判断で見ていただけると嬉しいです。
この内容の中で
・適応障害と診断された方
・憂うつ状態の方
・自殺念慮まで考えている人
今抱いている気持ちをこの中で共有できたらと思いますので、どんな些細なことでもコメントで教えていただけると嬉しいです。
コメントの言葉が他人のアドバイスや共感につながります。
今まで話したこともない内容なので、友達でもそうだったの?ってびっくりする内容かもしれないですね。
ハワイで撮ったきれいな写真の後から文章は始まっていきます。では行きますね・・・。
では今までの人生の生き方や、自殺念慮を抱き、適応障害の診断が出るまでの実体験や行動や言動、人生を終わらせようとした後の自分なりの取り組みなどを伝えたいと思います。
項目は以下のように語っていきたいと思います。
- 自己の性格や考え
- 学生時代での様子、看護師を目指そうと思ったきっかけ
- 看護師になってから苦しんだこと
- 待望の子供ができた。でも・・・。
- 子供が生まれた後の心理変化
- 相談相手はいなかったのか
- ストレスが溜まりに溜まっていよいよ。
- 自殺念慮を起こした後の自分
項目が多いため、①では
- 自己の性格や考え
- 学生時代での様子、看護師を目指そうと思ったきっかけ
について記述しようと思います。
長くなりますが、よろしくお願いします。
Contents
自己の性格や考え
周りの人から自分に対して良く言われることがあります。
「本当に優しいよね」
「お前ってお酒もたばこ、ギャンブルもしないってどんだけ真面目なの?」
「いつも仕事とか遊んでる時も楽しそうにしてるよね」
「友達も多いでしょ。だって一緒に居たら楽しいし!」
そう、自分自身でも思ってます。包容力と生真面目さがあるんだと思ってます。
昔から、
「誰かのために生きていきたい」
「自分を犠牲にしてでも、他人が幸せになってくれたら・・・。」と考え、生きてきました。必死に。自分が苦しくても自分がしたことが幸せになるならと。
嫌なことがあって行動すると、「でも(行動を起こしたら)人から嫌われるんじゃないか。今まで関わってきた人からなんて思われんやろ。それが怖くて・・・」
他者評価が気になり、なかなか行動に出せない、ストレスが溜まりやすい人間なんです。
でも!「落ち込んでる姿は誰にも見せたくない!俺は強い人間なんだ!」と言い聞かせながら、
28年間生きてきたわけです。それが正義、自分の役割だと思ってたから。この考えがのちに大変なことを起こすのです。
学生での様子
自己紹介の記事でも書きましたが、高校までは野球しかしない18年間でした。
チーム内でもムードメーカーでもあり、人を笑かすことが大好きな人間でした。しかし、自分が活躍できていないことや成績不振なことがあると、表情に出て、物に当たるなどしてストレスを発散してましたw。
18年間の野球で「負けず嫌い」「チームワークの大切さ」「忍耐力」が大事だと気づかされました。
また自分が小学生~高校生にかけて、
「重度の片頭痛」を持つ子でした。
一番きつかったのが、中学生~高校1年生の時には1か月に1回片頭痛が起こり早退することも多くありました。
頭痛だけならいいのですが、めまい、呼吸困難、嘔気、嘔吐、体温上昇、視覚障害が出るほど苦しいものでした。周りから理解されず、片頭痛を理由に嫌なことを言われたり、笑われたり。時には面白おかしくされたり・・・。非常に自分自身も苦しかったことを覚えています。
「死んだほうがマシや」って何回言ったことかww。
唯一そんな中、支えてくれたのは、家族はもちろんなんですが、かかりつけ医の看護師さんでした。
クリニックを受診し、嘔気や頭痛、呼吸困難が強い自分に対して、心配そうに背中を摩ってくれる看護師さん。本当にうれしくて、今でも鮮明に覚えてます。
「苦しんでいる人を支える仕事」って素敵だなって思って、自分が看護師になりたいと思ったきっかけでもありました。
看護師を目指すため、医療大学へ進学。
成績はまずまずで。実習も何とか耐え抜いて、国家試験を合格することができました。
看護師として、地域で貢献したい。やるからには高度技術が学べる環境が良いと思い、大学病院へと社会人1年目としてステップアップしていきました。
今回はここまでにします。
また続きを項目順に書きますのでお待ちくださいね。
ほなまた!!